保護者のみなさまへ
保護者のみなさまへ
「おとなの想像力」
先代園長の巻 レイが、児童文学誌「飛ぶ教室」(2007年冬号)
に載せた随筆をご紹介します。
子育てのひとつのヒントになれば幸いです。
「おとなの想像力」
子どもの頃、家には本がなかった。
若くして夫をなくした母は、九人の娘と小作たちの面倒を見るのに忙しくて、教養に関心をおく余裕なかったからだ。
それでも、末っ子の私に母はよく寝床で昔話を語ってくれた。私は母の昔ばなしが何より好きだった。
書物に飢えていた私は、医者や郵便局長の娘たちの家で毎日暗くなるまで活字を貪り、その家の人に嫌がられたりした。大人になったらたくさん本を買おう。自分の子どものまわりは世界中の絵本で美しく飾ってあげよう。夢はふくらんだ。
しかし、大人になると状況は変わる。
自分のために本は好きなだけ買えるし、子どものためにもそれは同じ。
いかんせん時間がない。生活に追われ、ゆったりと膝にひろげる心のゆとりもない。
共働きの悲しさ。
夜、あずけていた家に子どもを引き取りに行くと、たいてい娘はこっくりと眠っている。私はいつも寂しい思いで垂れた頭を抱いて帰った。
それでもたまに目が冴えていれば、枕元で必ず絵本を読んであげた。
娘はたくさんの絵本の中からしつこいくらいアンデルセンの『火打ち箱』のお話をせがみ、何百回と読まされた母親は、やがて子どもにはそうたくさんの絵本は必要ないのだと気づくのだ。
この「イチ・ニー、イチ・ニー」と軽快なリズムにのって始まる摩訶不思議なお話は、今でも私の十八番でソラで語れる。現代子である園児たちが食い入るように聴いているのもうれしい。クラシカルな物語の力を感じる瞬間だ。絵を提供できないので、子どもたちが自分で世界を創り上げられるのが何よりいい。
この現代子たち。
年を追うごとに変化している。
子どもの変化を見れば、まさしくそれは親の側の変化だ。世代の変化。その世代を育てた若い「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれる人たちの変化。
彼らのイメージの幅が、だんだんか細く、たよりなくなってきている。
子育てに必要なのは、親の愛情と想像力だ。
子どもをどう幸せにしたいかという強い思いと、それをイメージする力。
電車で座席に泥靴であがる子に、「ほら、隣のおじさんにおこられるよ」などと、つまらない叱り方をする母親。
「あなたの靴のドロで、次に座る人のおしりが汚れてしまうのよ」くらいのことは言ってもいい。
子どものイメージする力を奪う親であってはならないし、自分もまたそういう意識で社会に向き合わなければならないからだ。
想像力の貧困な子どもは実に頼りない。
「こうすれば、どうなるか」という先を見越す力を持たないから自分も傷つくし、他人をも傷つける。
それでは長い人生は生き抜いてはいけない。豊かな想像力が豊かな人生をつくるのだ。
2005年、長年の夢がかなって絵本美術館をつくることができた。
建築は安藤忠雄氏にお願いした。日本の美しい自然と向き合いながら小さな子どもがはじめて絵本の魅力に触れる場だ。安藤さん以外にいないと確信していた。
私は安藤さんを心から尊敬しているので、設計の邪魔になるのではと、かねてから抱いていたイメージをお話せずにいた。安藤さんのイメージで創っていただけたら、それはつまりこちらのイメージにぴったり重なるのだと勝手に思い込んでいたくらいだ。ただ一つお願いしたことは、絵本は表紙で展示したいということだけ。小さな子どもたちはまだ字が読めないからだ。
安藤さんは吹き抜けの内部に高さ9メートルもの大書架をつくってくださった。
建物にすると、三階分くらいの高さになる。そこに1,500冊の絵本が色とりどりに並んでいる。
巨大なモザイク壁画のようで美しい。
壁画の背後に太平洋の大海原が広がっている。
子どもたちはいつでも好きなだけ水平線の豊かさとその感動をあじわうことができるのだ。
『まどのそとのそのまたむこう』
モーリス・センダックの絵本の名前を館名に戴いた。
ここで絵本を楽しむ子どもたちは、きっと窓の外のそのまたむこうの世界にまで想像の翼を大きくひろげることができるだろう。
そして、絵本はけして子どもだけのものではない。
大人のためのものでもあるのだから、いろいろな世代の大人たちに絵本を楽しんでもらいたい。教育者の立場としては、懐古的な意味ばかりでなく絵本を楽しんでもらいたい。あなたが子どもの頃持ち合わせていた溢れんばかりの想像力を取り戻す場として、この場を活用してほしい。あなたが取り戻した想像力の片鱗は、難なくあなたの子どもに受け継がれることだろう。
寝る前の五分間、枕元で子どもに本を読んであげて下さい。それがあなたと子どもにとって、とても大切なことです。
巻 レ イ